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沿革

mukasi032.jpg  黒部峡谷は、立山連峰と後立山連峰の間を流れる黒部川が、長い年月を掛けて刻み込んだ、日本でもっとも深く、もっとも大きな峡谷で、この険しい谷と厳しい自然は長い間、人々を寄せ付けませんでした。
この黒部峡谷で本格的な電源開発を始めたのは、タカジアスターゼの発明で有名な高岡出身の高峰譲吉博士が起こした東洋アルミナム株式会社です。会社の設立は大正8年(1919年)12月7日のことでした。 その後、大正11年には日本電力株式会社がこの事業を引き継ぎましたが、大正12年に、黒部川水系の発電所建設のための資材運搬用鉄道として、宇奈月~猫又間(11.8km)の軌道敷設工事に着手しました。以後、

大正 15年 10月  宇奈月~猫又間 運転開始
昭和 5年 8月  猫又~小屋平間 運転開始
昭和 12年 7月  小屋平~欅平間 運転開始

といった経緯をたどり、現在の路線となっています。その後この鉄道の経営は、日本電力株式会社から、昭和16年には日本発送電株式会社へ、そして、戦後の電力再編に伴い、昭和26年5月には関西電力株式会社に引き継がれました。
写真  この鉄道は、資材運搬のための専用鉄道でありますが、当初から地元の人達の利便をはかるため、「無料便乗」という形で乗車いただいておりましたが、昭和4年からは年ごとに増える観光のお客様に対応するため、便乗料金を徴収した上で一般のお客様にも解放することが認められ、昭和26年10月に禁止されるまで続けられました。その頃の便乘證には「便乘ノ安全ニ付テハ一切保證致シマセン」と書かれていました。
その後、地元の皆様や黒部の自然を愛するお客さまから、観光用列車として利用したいとの声がますます強まり、昭和28年11月5日、関西電力株式会社が地方鉄道業法の許可を得て、「黒部鉄道」として営業運転を開始しました。
さらに、お客様の増加に伴って、「黒部鉄道」の営業内容も電源開発の資材、人員輸送主体から旅客輸送へと移行していくことを踏まえ、より一層のサービス体制の充実、運転保安体制の確立を目的に、昭和46年5月、関西電力の子会社として設立された鉄道専業の会社としての黒部峡谷鉄道株式会社が地方鉄道事業の譲渡許可を受け、同年7月1日より営業運転を開始しました。
以降、トロッコ電車の愛称で親しまれ、今日に至っています。